peno『nebula』リリースとレコ発によせて
penoインタビューは こちら
『nebula』収録曲・クレジットは こちら
視聴は こちら
『PENO「NEBULA」レコ発GIG』
11/17(土)at 南池袋ミュージックオルグ
http://minamiikebukuromusic.org
OP:19:00 / ST:19:30
ADV:2000円 / DOOR: 2300円(ドリンク別)
w/ Hara Kazutoshi, sans deer
予約はこちらまで:penoxxx(at)gmail.com
***
筆者が2000年以降に取材などで話を聞いた若いアーティストたちの口から、一体何度、『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』の名前を聞いたことだろう。スフィアン・スティーヴンス、アニマル・コレクティヴ、デヴェンドラ・バンハート、ジョアンナ・ニューサム、アーケイド・ファイア、フリート・フォクシーズ、ボン・イヴェール、ザ・ナショナル、ダーティ・プロジェクターズ、グリズリー・ベア、スプーン……挙げはじめたら枚挙にいとまがないが、おもに2000年以降に活動の産声をあげた彼らとの対話を記録したインタビュー音声を文字起こししたもののなかに、「影響を受けた作品」「指針となっている作品」「参照としている作品」としてかならず『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』が登場する。もちろん、アーティストによって評価するアングルは異なるが、総じて共通しているのは「市井の人々の声が歌になっている点」だ。08年に最初のアルバムを発表したシアトルのバンド、フリート・フォクシーズのロビン・ペックノールドはこんなことまで話してくれた。「なにもぼくらじゃなくてもいいんだ。主役は歌だ。歌がちゃんと残っていくことがいちばん大事なんだよ」。
岡村詩野「ハリー・スミスの子どもたち」(『音盤時代』創刊号(2011年夏号)所収)
冒頭から長い引用になってしまったが、ぼくがこれから書くのはアメリカではなく東京のバンド、penoが2012年5月にリリースした初音源『nebula』についてである。ぼくは、この作品こそがいまもっとも聴かれるべき音楽のひとつであると確信している。
とはいえ、だ。そんな使い古されたクリシェを使ってみたところで、あらゆるレビュー、あらゆる音楽についてのテキストがそうであるように、ぼくのテキストもまた音(楽)そのものをひとかけらも記述することはできない。そして、あらゆる音楽ライターがそう感じているのと同じように、YouTubeかなにかのリンクを貼って「いいから聴け」とだけ書いて筆を置きたい気持ちでいっぱいだ。
しかし、このテキストが書かれ、いつか、どこかの、誰かが読む瞬間のために記録されていること、それ自体が重要なのだ。音楽についても同じことがいえるのは冒頭の引用文でも示した通りである。ぼくは、明日の時点のあなたにも、1年後のあなたにも、10年後のあなたに対してもいまこの瞬間に考えていることを書き残している。書く/読むのがいつなのかではなく、それがすでに書かれ、記録されて、アクセスできることの方がたいせつなのだ。
なおpenoについて、そして本作『nebula』についてはすでに音楽配信サイト「ototoy」にてバンドの実質的なリーダーであるミズタニタカツグのインタビューが掲載されている。
[ototoy] 特集: OTOTOY×disk union presents NEW SENSATION 第4回 peno
本稿は、これを事前に読んでからでも読んだあとからでも読めるように書いているつもりだ。順番は関係ない。しかし、できれば両方読んでほしい。
penoは2008年10月に結成された、アシッド・フォークないしフリー・フォークバンドである。どうせ明確な定義などできないのだから、いっそのこと言い切ってしまおう。
『nebula』は東京・八丁堀のイベントスペースである『七針』のレーベル「鳥獣虫魚」からリリースされている。「ああ、そういう感じの音楽ね」とおもったあなたも決して間違いではない。彼らは歌=声から楽器の一音一音にいたるまで、繊細で霧がかったアシッドな音像を基調としながら、「みんなのうた」を想起する美メロ炸裂のうたものポップスと、そのまま映像音楽に使用できるような情景感豊かなインスト曲をまったく平行的に演奏している。
2012年9月時点でのメンバーは
ミズタニタカツグ(ピアノ、クラリネット、ギター、ボーカルその他)
→ARTLESS NOTE、シャンソンシゲルバンド、夏目知幸とポテトたち
フクシマジロウ(ベース)
→my girlfriend’s record、オワリズム弁慶、ロア
アンドウアキヒコ(サックス)
→kuruucrew、俺はこんなもんじゃない、polylis
キシダヨシナリ(ドラム、パーカッション)
→トクマルシューゴバンド、スッパバンド、王舟バンドほか多数(本人によると「月に1回以上ライヴをやるのは10〜15ぐらいかな?」とのこと)
イシザカトモコ(本作完成後に加入。ボーカル、ギター)
→惑星のかぞえかた
の5人。さらにライヴや音源制作時にゲストミュージシャンが参加することも珍しくない。というかメンバー全員が別のバンドにも在籍しておりライヴに参加できないケースもたびたびあるため、結果的に編成が流動的になっている。本作にはゲストミュージシャンとしてototoy groupのギタリスト片岡敬が参加。また8月5日に七針で行われたライヴでは、上記の5人に加えてトクマルシューゴやmuffinのサポートなども務め、自身もvapour trailというソロユニットで活動している松本頼人がギターで参加した。ジュディ・シルみたいなイシザカのスモーキーな歌声がたまらなかった!
メンバー名の下の矢印に書かれているグループ名は彼らが参加している他のバンド——ゼロ年代以降の東京インディを聴いていれば、ひとつぐらい名前に聞き覚えがあるだろう——だが、これを見てもわかる通り、全員がロック、ポップス、ポストロック、フォーク、ハードコアなどジャンルのまったく異なるバンドに参加している。
ここまでの情報で、一度本作をプレイヤーにかけてみよう。bandcampなりYouTubeなりにアップされているものでも構わない。インターネット時代に生きるぼくらの特権である。
アシダユウト(本作完成後に脱退。詳しくは後述)が山本精一ソロを彷彿とさせる朴訥な、しかし力強い意思を感じさせるうたを聞かせる1曲目「nebula」から、peno唯一のアップテンポナンバーで、細野晴臣ソロのような「日本人から見た(エキゾチックな)アメリカ」を彷彿とさせるワールドミュージック調のインスト曲「March Of Pigs And Cows」までの全6曲・約28分のミニアルバムだ。うたものが3曲(nebula/maru/kaido)、インスト曲が3曲(nishibi/(Untitled)/March Of Pigs And Cows)で構成されている。
マスタリングはPEACE MUSICの中村宗一郎が担当。ただ単に「アコースティックなゆるふわ系バンドがスタジオライヴそのまま音質でご提供」では終わらせない、ローファイとハイファイの中間というか、夢と現実の間をうつらうつらと漂うような音像となっている。
penoの音楽はどう説明すればよいだろうか。マヘル・シャラル・ハシュ・バズやさかな(SAKANA)から、テニスコーツ、二階堂和美などにも連なる、自由な(フリー・)フォーク音楽を連想することができるかもしれない。あるいはトクマルシューゴやパスカルズのように、かつて「アヴァン・ポップ」のサブジャンルという位置付けで聴かれてきたトイポップを、より普遍的な日本語ポップスへと昇華させることに成功した楽団、と捉えることができるかもしれない。またTEASIやmuffin、ゑでぃまぁこんやジョンのサンといった日本のコアなインディフォークにも直接的な影響を受けているだろう。
しかし、こうして直接的・間接的に関連しそうなバンドやユニット名を挙げてみても、いまいちどうもピンとこない。彼らの魅力を多少なりとも言語化できている気がしない。
けっしてローファイな音づくりではないし、意図的に音程やリズムをずらすようなスカム要素を取り入れているわけでもない。かといって、おしゃれなカフェでかかりまくるグッド・ミュージックかと言われると「そうとも言えるしそうでないとも言えるし…」と口ごもってしまう。
ここで一度思考を止めて、再びバイオグラフィーに、つまりpenoとその音楽の成り立ちに戻ってみる。上で挙げたメンバーのうち、結成時のメンバーというと実はミズタニとフクシマのみである。もともとはミズタニを中心に明治大学の同級生で結成したバンドだった。
データ補完的な意味合いでもう少し書いておくと、残りのメンバーは
アシダユウト(ギター、バンジョー、トロンボーン、ボーカル。『nebula』完成直後に脱退。現在はyumboとoono yuukiバンドに所属)
コバヤシナオキ(ドラム。コバヤシのみ2009年7月に加入。2010年に活動休止。現在は会社員)
ジンボユウキ(ボーカル、トイピアノ、パーカッション。2010年に活動休止。現在は会社員およびミニコミ『knocks』同人)
である。
ちなみに筆者=ぼくはこの現在活動していないメンバーのうちの最後であり、初期は本作の4曲目「kaido」を歌ったりしていた(歌詞も書いた)。ただこれもデータ上そうなっているだけのことであり、加えて「結成時のメンバーがこれを書いてるから、多少なんらかのバイアスはあるかもね」という注釈を提示しておく以上の意味合いはない。
初期のpenoはototoyでのインタビューでも言及されている通り、ミズタニとアシダがそれぞれ制作していた宅録曲しかレパートリーが存在しなかった(本作収録曲の「kaido」の詞を除く、作詞・作曲もすべてミズタニ・アシダ両名によるものだが)。
またそれらも元々バンドによる演奏を想定して作曲されたものではなかった。結果的に、結成してから1年ほどの間はライヴの持ち時間約30分のうち、毎回2曲ぐらいしか演奏していなかったのだ。スタジオ練習も展開が既に決まっている“演奏”が必要な部分の確認・練習以外は、深夜でわりと時間の余裕があるのをいいことに、毎回作曲と称して遊んでばかりいた気がする。その頃演奏されていた曲のひとつが「March Of Pigs And Cows」である。
だが、この曲はイントロ・アウトロを入れても5分ほどで終わってしまう。
残りの25分はというと、ミズタニが作曲したピアノ主体のインスト曲を、ループさせたピアニカとギターで持続音をつくり、他のメンバーが各々の楽器で色を添えていくという演奏に費やしていた。そのころのテイストを残しているのが、本作5曲目の「(untitled)」である。この曲も大抵ドローン・ノイズパートを挿入して10分ぐらいは演奏していた。
しかしそれは前衛的でアバンギャルドな即興、というよりも、ミズタニの奏でる優しいピアノの旋律によって、ライヴハウス内を優しく包み込む、ドリーミーで没入感のある音の空間をいかにつくりだすか、ということを考えた演奏だった(と考えている。少なくともぼくは)。それはバンドメンバーが作曲し、完全に統御された楽曲を演奏するのではなく、鳴らされるべき“理想の音像”がまず存在し、それをこの空間に召喚する役目を担ったのがたまたまぼくらであったかのようだった。
当時のライヴ音源もいくつか残っているので、ミズタニくんは今後何かの特典として世に出すべきだとぼくはおもう。
またototoyのインタビューで、ミズタニはこの時期のライヴの反応を「お客さんも寝ていた」と自嘲的に語っているが、むしろそれは狙ってやっていたのではなかったか。観客のほぼすべてが対バンのメンバーと知り合いという、全国のライヴハウスの99%で見受けられる光景のなかで、全員がゆったりと足を伸ばして座り、目を閉じて音楽に聴き入っている状況は、いま思い返してもぜいたくな環境のなかにいたようにおもう。
一度ぐらい、「観客が眠りながら音楽を聴く」というコンセプトのイベントをやっておけばよかったぐらいだ。かつてそういった趣旨のライヴを、山本精一が六本木スーパーデラックスで企画したことがあるそうだ。たとえ誰一人観客が入らなくとも、演奏しているぼくらは音楽を聴きながら眠ることができる。それは見方を変えれば、観客の存在を想定しない、独りよがりな音楽と批判される性質のものだったのかもしれないが、あれはあれでほんとうに気持ちよかったのだ。
その後、だんだんと「kaido」や「nebula」などうたもの楽曲が誕生し、だんだんとドローン・ノイズパートは縮小されていくことになる。これが2009年〜10年ごろの話だ。この第一期編成のあいだには、トクマルシューゴバンドでアコーディオンやトイピアノなどを演奏する女性ミュージシャン、meso mesoの新作リリースパーティにオープニングアクトとして出演している(2009年12月)。
そして10年初頭にはジンボ・コバヤシが固定メンバーから外れ、キシダがサポートドラムとして参加しはじめる。さらにアンドウがバンドに合流し、第二期penoが始動することとなった。このころミズタニから「そろそろ音源を制作したい」という話を何度も聞いていた。なおレコーディングからマスタリングに至るまでの作業は、2011年を通して行われた。
それまで長期的なバンド経験が皆無に等しかったジンボ・コバヤシが固定メンバーから外れ、既に他バンドで十分なキャリアを重ねていたキシダ・アンドウの両名が加入したことによって、アンサンブルの精度が飛躍的に向上したのはいうまでもない。バンドを抜けた張本人が言うのもアレだが、このメンバーチェンジによってミズタニが思い描いた音像を、彼の言うところの「宅録楽曲の擬似再現」から「バンドによる楽曲」として表現できるという確信を得たはずだ。
そろそろ改めて本作に戻ってみる。彼らの音楽は、上で挙げたどのグループよりも「聴きやすい」。本作も気がつけばあっというまに1周してしまう。歌にしろ演奏にしろ、とにかく強調される音が少ないので、エレクトロニカやアンビエント音楽のようにぼんやり・ふわふわと聴けてしまうのだ。気になってもう1周してみると、音の輪郭がはっきりしているのは、ほとんどの楽曲でミズタニが弾くピアノフレーズやアコギのアルペジオのみだということがわかる。あとはコードやメロディが決まっているのみで、極論すれば曲自体が彼の演奏だけで成り立つと言うことも不可能ではないほどだ。当たり前だがそれは他のパートが不要ということではなく、その要素こそがpenoというグループの演奏の自由度を飛躍的に高めているのだ。
また初期の楽曲から共通しているのは、音色・楽曲構成ともに非常に多くの余白があり、どんなミュージシャンが参加しようともそれぞれの個性を十二分に発揮できる余地を残しているという点である。そのため、1曲を即興込みの長時間バージョンにアレンジするのもそう難しくはない。メンバー交代に伴いうたもの楽曲のボーカリストが何度も変わっているが、まったく問題ないどころかそれらを含めて「きょうはどんな演奏になるだろう」とライヴへ足を運ぶ動機付けにさえなったりもしている。
もしかすると、penoはメンバーが全員変わってもpenoの音楽として現メンバーによる演奏と同等かそれ以上のものとして聴こえるのではないか。ぼくはそんなふうに考えている。
もちろん何人かの人間が同時に演奏する以上、やりやすい相手・やりにくい相手はいるだろうが、とてもポジティブな意味でpenoには「このメンバーがいなければバンドが解散してしまう」といったような脆さは感じられない。だが、その「脆さ」は「録音物の制作」も含め、一回性の芸術、としてのバンドによる演奏という意味において、多くの場合では魅力として捉えられている。誰の代わりでもない、彼らによる演奏だからこそ、より尊いものとして感じている。
しかし、だ。冒頭で引用したような無名のアメリカ人によって歌い継がれてきたブルースやカントリーのように“生き残る”可能性のある楽曲というのは、――マスが崩壊し無数の個人だけになってしまった現代において――こういうものを指すのではないだろうか。バンドの歴史が終わりを迎えたとしても、また別の人間による、別の歴史が紡がれていくのではないか。ぼくはそうも考えているのである。そんな可能性を感じるのは、最近のグループのなかでは正直なところ彼らだけだ。
そんな妄想にも似た考えをある種確かめていくような試みとして、いくつかアイディアを書いてみたい。
1曲ずつメンバーが入れ替わり、最後にはコアメンバーがひとりもいなくなるライヴが観てみたい。数十人による合奏で、一晩中途切れなく音楽が鳴り続けるライヴが観てみたい。全国のさまざまな会場で、異なるメンバーが同じ曲を同時に演奏する様子をUSTで観てみたい。
誰かがその場で曲を演奏すれば、それがpenoの音楽になる。その瞬間、penoは固定メンバーによるバンドではなく、限りなく概念に近い存在へと進化するのではないだろうか。
とはいえ、まだ1作目である。今後どのような方向に向かっていくのかはまったくわからない。けれどpenoは、今夜もどこかで演奏を続けている。今度はあなたの好きなミュージシャンが参加するかもしれない。その際に誰がステージに立っていたとしても、きっとあなたをうっとりさせるような、アシッドでドリーミーな音楽を奏でてくれるはずだ。
penoインタビュー
「peno「nebula」リリースとレコ発によせて」は こちら
『nebula』収録曲・クレジットは こちら
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『PENO「NEBULA」レコ発GIG』
11/17(土)at 南池袋ミュージックオルグ
http://minamiikebukuromusic.org
OP:19:00 / ST:19:30
ADV:2000円 / DOOR: 2300円(ドリンク別)
w/ Hara Kazutoshi, sans deer
予約はこちらまで:penoxxx(at)gmail.com
続けて、penoのロングインタビューを掲載する。
参加者はミズタニ、フクシマ、イシザカの3人。インタビューは4時間近くにもおよび、どちらかと言えば飲み会の合間に話を聞くような格好となってしまったが、その日の疲れとアルコールがミックスされ、より本音に近い部分の話が聞けているとおもう。
先のテキストは筆者であるぼく個人の視点のみによって書かれた「peno論」だが、本インタビューはその相互補完を図るべく、他のメンバーは同じ頃に何を考えていたのか、音楽的なルーツとはなんだったのかという部分を探っていった。
本インタビューの収録は9月27日。国立近代美術館フィルムセンターでの「ぴあフィルムフェスティバル」にて、penoとミズタニが在籍しているロックバンド、ARTLESS NOTEの合同編成でライヴが行われた日だった。このイベントで上映された映画「世界グッドモーニング(監督:廣原暁)」で同タイトルのARTLESS NOTE楽曲が使用されており、主題歌担当バンドのミニライヴという位置付けである。
この日のライヴの模様は一部がYouTubeにアップされており、その感想から会話がスタートしているため、これをBGMに読み始めてみてほしい。
ARTLESS NOTE+PENO - Sameta Niwa
***
ロックバンドにはない「自由」を突き詰めるとpenoになった
――今日のライヴ、スタートが平日17時頃だったから行けなかったけど、どうだったの?
ミズタニタカツグ:とりあえず、録音を失敗した(笑)
――(笑)
ミズタニ:ビデオカメラも持っていったから撮影はしてたけど、途中で電池が切れて。
――じゃあ、幻のライヴになっちゃうわけだ。どんな構成でやったの?
ミズタニ:演奏したのは全部で7曲。最初にセキネ(ジュンリ。ARTLESS NOTEのギターボーカル)が一人でやって、どんどん人数が増えていく構成で。完全に6人になったのが4曲目からかな。最初の3曲は ARTLESS NOTEの曲、次の3曲がpenoで、最後の曲は6人で新曲をやった。最後は楽しかったな。
イシザカトモコ:楽しかったね。
ミズタニ:自分自身で演奏中に「あ、これいい!」って思えた。
――それって新曲?
ミズタニ:元々セキネがソロでやってた曲をぼくが「あの曲みんなでやったらいいんじゃない?」って提案したらすんなり通ったっていう流れ。曲名はまだ無いけど。
――今後、ARTLESS NOTE+penoで活動していく予定はあるの?
ミズタニ:またARTLESS NOTE名義だけど、イシザカさんを除いた5人で演奏する機会が年明けにできたよね(1月11日開催の「みんなの戦艦リンキーディンクリターンズ」)。そのイベントは奇跡的にあっくん(アンドウアキヒコ)のいる henrytennis と次郎くん(フクシマジロウ)のいるロアも対バンで出るから。
――今回の趣旨としては、結成時から今まで居たメンバー、もう2人になっちゃったけど(笑)がこれまでの活動・音楽そのものを振り返ってどう感じていたかっていうことを聞きたかったんだよね。
ミズタニ:そんな壮大な話は出ないよ(笑)
――(笑)。そんなことを追いかけながら「すげーいいバンドだから今度のレコ発に来なよ」って結論に持っていければな、と。まず最初に、バンドをやろうって呼びかけたのは誰だったの?
ミズタニ:最初にスタジオに入ろうって言ったのは次郎くんだよね。それでアシダ(ユウト)くんが来て、スタジオのゴミ箱をボコボコにして帰っていったという(笑)スティックでボコボコに叩いてそれにディレイをかけてた。
フクシマ:あれ、自分で持ってきたと思ってたよね(笑)
――その経緯は知らなかった(笑)当時「こういうのをやりたい」って具体的なバンド名とかは挙がってたの?
ミズタニ:おもちゃっぽいの。宅録っぽいの。
フクシマ:確かその時に自分も KLIMPEREIとか教えてもらった気がするな。
ミズタニ:日本の人だとその頃よく asuna さんのライブをよく見に行ってた。二十歳の誕生日には円盤でasunaさんのライヴを観てた(笑)
――いい話だな(笑)
ミズタニ:その日がたまたま成人式で、地元の飲み会に行かないで円盤にライブ見に行った(笑)2007年ぐらいの話だからARTLESS NOTEに入る直前。
――結成したのが2008年、peno名義でライヴを初めてやったのが、さっき話した2009年だったと。
ミズタニ:最初のライヴをやった日って、ぼくがシャンソンシゲルさんのバンドで Why?の来日公演の前座として出た日と同じ日で、ダブルヘッダーだっだんだよね。あの時は何故か頭痛が酷かった…。実はぼくWhy?の超大ファンで、共演出来ることがものすごく嬉しかったんだけど何となく、決まったことへの現実感がなくて…。だけど当日の朝に目が覚めた瞬間いきなり号泣(笑)ツアーの最終日の渋谷o-eastで観たときにまた号泣(笑)その日のpeno用の出演者パスに、ヨニとダグにサイン書いてもらった。今でも大事にとっておいてある。
penoに影響を与えたアーティストたち
――1回聞いてみたかったのは、penoが国内外の色々な音楽のなかでどんなところに位置づけられると思うかってこと。「東京インディシーン」とかでもいいんだけど。
ミズタニ:また壮大な質問が来たな(笑)
――トイ系の楽器も使う、フォークないしフリーフォークっぽい、っていうpenoに近い音楽性だと、一番有名なのがトクマルシューゴさんだと思うんだけど・・・
ミズタニ:全然違うでしょ(笑)
――トクマルさんすら知らない男の子・女の子のために、penoをセールスする言葉を聞きたいのだよ(笑)原稿でも書いたけど、トクマルさんが居て、asunaさんとかジョンのサンとかゑでぃまあこんとか・・・
ミズタニ:そういう風に捉えるのもわかるんだけど、やっぱりそれを一括りにするのはちょっと雑じゃないかなぁ。というより、恐れ多い…。
――そういうアーティストをどれか一つでも引っかかってる人に対して、penoを聴いてみて欲しいということなのね。でもミズタニくんが言うように超ざっくりしたくくりなら、入ってるとぼくは思ってるよ。
ミズタニ:それは嬉しいけど、あの原稿もすごい誇張されてると思う。すごく嬉しかったけど。
――ぼくはpenoのことを好きだけど、それはトクマルさんなりパスカルズ パスカルズ なりを通ってて、そうした音の文脈のなかで聴いているっていう部分があると思っていて。その文脈を持たない人にはどう聴こえるのかっていうのは気になるんだよね。
ミズタニ:渋いって言われたりするよ。
イシザカ:プログレって言われたことがあるな。
ミズタニ:「曲がマイナーセブンスから始まってる!」とか。
フクシマ:それはリスナーじゃなくてプレーヤー側の意見でしょ(笑)
―― ototoyのインタビューでミズタニくんが「初期のライヴではお客さんが寝てた」って話をしてたけど、あれって意図的にそういう風にやってた部分もなかったっけ?原稿にも書いたけど。
ミズタニ:あれかぁ。
フクシマ:寝かせようとは思ってなかったよね。
ミズタニ:音楽=ロックバンドがライヴハウスで鳴らすものっていう認識を持っている人が多いと思うんだけど、penoではそれ以外のことをやってみたかったっていうのはある。「こういう音楽をやっても何かしらの反応をしてくれるよね?」っていう意識でドローンをやってみたいなっていうのはあった。でも、あんまり反応はなかった(笑)
イシザカ:当時はどの辺りでライヴをやってたの?
ミズタニ:新宿motionとか新宿ナインスパイスとか。カーテンを閉めたまま爆音でドローンをやったりとかしてた(笑) それで最後に1曲だけ曲っぽいものを演奏するんだけど、そのイントロが鳴った瞬間にカーテンを開けてほしいってPAさんにお願いして、開いた瞬間に客が全員寝てたっていう(笑)
――あの時はまだぼくも在籍してたけど、個人的にはすごく素敵な風景だなって思ったんだよね。こんな風にライヴハウスで聴かれてるバンドって観たことなかったなって思ったし。あの頃に影響を受けてたアーティストとかって居た?それこそasunaさんとか。
ミズタニ:asunaさんに影響を受けたなんて言えないよ…。asunaさん天才だもん…。
フクシマ:すごい愛してるな(笑)
ミズタニ: ARTLESS NOTEで2007年12月に自主企画をやった時に、asunaさんが入ってる HELLLっていうバンドを呼んだんだよね。
フクシマ:すごく良かったよね。
ミズタニ:あの時にasunaさんがクラリネットを吹いてて、最後に客の間を突っ切って外に出てパフォーマンスが終わるっていう結構激しめなことをやってて。その時に辺りがざわついて誰かがお酒をこぼしてたりとか。
フクシマ:HELLLを観て「こんなこともやって良いんだ」って思ったよね。
ミズタニ:ぼくはあの時に初めてハルモニウムを知ったなあ。でもまた別の時に観に行ったら編成が全員エレキギターになってて(笑)あ、でも全員ギターでライブは自分も「夏目知幸とポテトたち」で一回やったな。夏目くん(シャムキャッツ http://siamesecats.jp/ )のアイデアで、みんなアコギでコードをジャカジャカ弾いて。
――初期penoは「○○みたいな音」っていうよりも、自分の作った曲の断片を使ってどれだけ自由なことができるかっていう感じだったのかな?
ミズタニ:うーん。
イシザカ:私はミズタニくんがasunaさんを好きだっていうのがいまいちしっくりこないんだよね。
ミズタニ:でもイシザカさん、ぼくが一人で作った音楽って聴いたことないよね。ぼくはasunaさんの「room note」ってアルバムがすごく好きで。ARTLESS NOTEに加入する前は、ずっと家でおもちゃとか楽器の音を録音してたよ。
フクシマ:penoを初めてからもらったCD-Rにはそういう曲が入ってたな。あれを聴いて「こういうことがやりたいんだ」って思った。
ミズタニ:全くできなかったけどね(笑)
フクシマ:そうかな?結構penoの音楽のイメージはできたけど。
――その方向にそのまま行かなかったのが、いわゆる「曲がかわいいトイポップバンド」まんまにはならなかった理由なのかもね。
フクシマ:そういう音楽だったら、ここまで続かなかった可能性もあるよね。
――逆にぼくは誘われた時にパスカルズみたいな音楽をやるものだと思ってたから。
ミズタニ:あんな壮大なことできない…。今回レコ発に出てもらう sans deerさんみたいな感じがやりたかったのかもしれない。まあ結局それも全然出来なかったんだけど(笑)
フクシマ:「nebula」に入ってる曲で近いのは「maru」じゃない?PVでアニメーションをつけてもらったっていうのもあるけど、一番キャッチーだと思う。
ミズタニ:確かにあれはサックスの音がリコーダーになったりしたら、ぼくが昔作ってた曲に近いかも。
メンバーチェンジ、そして現在のスタイルへ
――初期のpeno はミズタニくんかアシダくんが作った曲を皆で味付けしていくっていう流れだったよね。
ミズタニ:当時はコードのことも全然わからなかったし。宅録でやってることをそのままバンドでもできると思ってたけど全然できなかったから、もっと勉強しなきゃと。
――それはいつ頃に「このままじゃダメだ」って感じるようになったの?
ミズタニ:ずっとダメだ、ずっと上手くいかないと思ってるよ(笑)今は多少なりとも学んだことを活かしながら…。少しずつ段々と自分たちらしく…。
――初期のライヴは「30分の持ち時間でドローンをやるなかで、どれだけ面白いことをやれるか」っていうのを追求してた時期だったと思うのね。それはそれで面白かったとも思う。聞きたかったのはそれがどの段階で転換したのかっていう話で。ちょうどぼくが抜けた時期だったんだと思うけど。
フクシマ:下北沢THREEでのライヴの時だよね。
――2010年ぐらいだっけ。
ミズタニ:対バンはみんなノイズ系で、冬だったからすごい寒かった時だ。
フクシマ:あそこで何を話したかは覚えてないけど。
ミズタニ:ドローンをやったらミラーボールが回り出すし(笑)、爆音から逃れて休むために外でたらめちゃくちゃ寒いし、大変だったなあ。なんか、辞めさせたつもりはなかったんだけど、すみませんでした(笑)
――自分は自分であの頃から仕事がすごく忙しくなって、全く他の事ができなくなってたから。このままじゃ申し訳ないなっていう気持ちはあった。
ミズタニ:ぶっちゃけ、楽器あんまり弾けてなかったよね(笑)
――ごめん(笑)昔のライヴ音源とかを聴けば聴くほど「自分が余計なことしてるなー」って恥ずかしくなる。
ミズタニ:そういうことは思わなかったけどなあ。ただ、音を鳴らさないことができないっていう状況には困ってた(笑)ちょっき(コバヤシ)も「nebula」でドラムを叩かないようにって言ってる部分を、何度やってもどうしても叩いてしまったりとか(笑)
フクシマ:人によっては譜面が無いと絶対にできないっていう人もいるよね。
ミズタニ:彼にはエイトビートだけで人を笑わせる不思議なパワーがあった(笑)「March of Pigs and Cows」の当時のフレーズを岸田さんにもそのままコピーしてもらってる。
フクシマ:あれ、ベースと何も合ってないし(笑)岸田さんと初めて合わせた時に「そこは再現しなくてもいいのに~」って思った(笑)
――次郎くんはメンバーチェンジまではどうだったの?
フクシマ:ミズタニくんから教わったバンドには色々な影響を受けた。Hoseをすごく好きになったな。宇波さんの録音手法って「そこに鳴ってる音」みたいな感じですごいと思う。
ミズタニ:あの録音すごいよね。
フクシマ:こんなに色々なことをやってもいいんだな、っていうことを考えてるのと同時期にpenoが始まって。片方( my girlfriend's record )はエモーショナルなインストで暴れ狂うみたいなことをやってる一方で、もう片方(peno)は1つの音に集中するというか。そういうバンドもいいなって思って。
ミズタニ:たまに、とても修行っぽい。
――そのまま話を展開させるけど、アンドウさん・岸田さんの加入のきっかけって何だったの?
ミズタニ:岸田さんは、コバヤシが抜けた後に「ドラムいないんだったらやるよ」って言ってくれたような記憶が…。
フクシマ:曲作りでも結構岸田さんに引っ張ってもらった部分はあったよね。
ミズタニ:すごくあった。アレンジに関してもたくさんアイディアを出してくれるし。
フクシマ:ドラムとベースのあり方が何も話さなくても決まっていって、それがすごく心地良かったな。
ミズタニ:それがびっくりしたよね。あっくんについては、ぼくがもともとサックスの音が昔からすごい好きで。中学生くらいから、ヒップホップでもサックスとかウッドベースの音が入ってる曲が好きだった。だからサックスのうまい同い年っていうのが本当にワクワクして(笑)
――元々はどんなきっかけで知り合ったの?
ミズタニ:最初に少しだけ話したのは2008年ぐらいに知り合い伝いで、高円寺U.F.O.CLUBだったかな…。初めてちゃんと意識したのはさっき話したWhy?の前座の時。彼が在籍してる kuruucrewも対バンで。その日のkuruucrewは尋常じゃないくらいの爆音で演奏してるように聴こえて、怖くてフロアに入れなかった(笑)その時に自分と同い年だって初めて知ったから、なおさらびっくりして。その時は一言も喋らなかったんだけど、誘ったのはその1年後ぐらい。ある日のライブで再会した時に連絡先を交換しようと思って携帯を取りに行ったんだけど、「待ってる」って言ってたのに戻ってきたらあっくん帰ってて(笑)
フクシマ:雑だなぁ(笑)
ミズタニ:それが初めてバンドに誘ったときだったんだけど、結局連絡先を交換するまで3回かかった。
イシザカ:なに、ときメモ?(笑)
ミズタニ:岸田さん込みの4人編成で七針に出た時のライヴの後にあっくんを誘ったんだ。だから5人でやったのは阿佐ヶ谷のNext Sundayだね。2010年の夏。アシダくんが初めてユーフォニウムを持ってきて。
――続けて、イシザカさんは「nebula」リリース後にアシダくんと入れ替わりで加入したわけだけど、こっちのきっかけはどんな感じだったの?
ミズタニ:タイミングが良かった。アシダくんが辞めることになる少し前に、イシザカさんがやってる惑星のかぞえかたっていうグループと対バンして。彼らがぼくらと仲良くなれるような音楽をやってるっていうのはなんとなく知ってたし、ライヴも観たら良かった。その頃ぼくが友人の花屋でライヴを企画するっていう話があって、結局ボツになっちゃったんだけど、その時にイシザカさんを誘ってやりとりしてて。
イシザカ:そのころにミズタニくんがARTLESS NOTEのライヴに客として呼んでくれて、そこで本当に音楽好きなんだなぁと思った。あと私も知人に「サポートとかやってみたいんだよね」って話をしたらミズタニくんとpenoの名前が挙がってきて。
ミズタニ:その知人の方と対バンしたライヴがアシダくんの参加している最後のライヴだったな。本当に色々タイミングが合ったと思う。イシザカさんからもやりたいって言ってくれたし。
イシザカ:ピアノとかも弾けるので、使えるところがあったら使ってもらおうかなっていう感じで。
――penoを初めて聴いたのはいつだったんですか?
イシザカ:対バンの時です。自分のライヴの後で良い流れだなって思いながら観てて。
ミズタニ:あのころにアシダくんがつくったバンド用の曲が yumboみたいだなと思ってたら、本当にyumboに加入してしまった(笑)
――イシザカさんが加入した後のライヴを観て「絶好の逸材が来たな!」と思いましたよ。penoに女性ボーカルが入ったら絶対良くなるなとは以前から思ってたので。
イシザカ:ミズタニくんと私の仲の良さはすごいですよ(笑)ほんと「メル友できた!」って思った。
――どういう話をしてるんですか?
イシザカ:音楽の話。
ミズタニ:音楽の話で盛り上がりすぎて「もう今日はやめておきましょう」ってなったりとか(笑)
イシザカ:親指が痛くなるぐらい(笑)そう言えば前に友達にpenoを聴かせたらJaga Jazzistみたいだって言ってたよ。
ミズタニ:そんなわけないじゃん(笑)
1音1音をじわりじわりと突き詰める作業
――実際にメンバーが変わってからはどうだったの?岸田さん・あっくんが入った時は練習してても違った?
フクシマ:penoでは大前提としてミズタニくんとかアシダくんの作る曲にアプローチするっていうのはあったけど、その頃からぼくは初めて自分のベースの音、1音1音に向き合いだした時期で、何をやっても面白いっていうのはあったな。
ミズタニ:ぼくもそれはあった。何をやっても良かったんだよね。
フクシマ:penoは「マヘルっぽいゆるい感じ」って言われることもあるけど、バスドラとベースの緊張感がマジでヤバいからね。
ミズタニ:みんな、小さい音量に騙されてるよね(笑)
――ストイックっていうのは、ベストな音量があるとして、それに近づけていく作業が緊張するっていうこと?
フクシマ:緊張ではないんだけど、それだけと向き合う時間が流れていつの間にか終わってるんだよね。それがpeno。練習の時もアンサンブルを考える以上に「自分がどういう音を出すか、それがどういう結果になるのか」っていうことを感じながらボリュームのツマミをいじってる時期が多かった。ドラムが岸田さんになってから、音量が小さくてもドラムとベースが絡む意味みたいなものを考え始めたりとか。自分の弾き方とか、相手にするプレイヤーで音がこんなにも変わるんだなって。
ミズタニ:音量とか音圧でごまかさない演奏をやりたかったっていうのはすごいあるかも。元々みんな大きな音のバンドをやってるけど、それからpenoをやると裸になった気分になるんだよね。自分たちのそういう部分にちゃんと目を向けはじめると、どんどん自己嫌悪に陥るわけですよ(笑)録音したものを聴いて「なんだよこれ」みたいな。
――服を着飾っていくやり方と、自分の肉体そのものを鍛えるっていうことの方法論が違うというか。
ミズタニ:そんな感じかもしれない。それと、大きな音で演奏するバンドの活動と並行して、ライヴハウス以外の色んな環境でも演奏したいなって思い始めて、今日みたいな映画館で演奏したり美術館での演奏に参加させてもらったこともあるんだけど、そうゆう環境でやることにすごい興味を持つようになった。でもそうゆうのってやろうとすると、もちろんそれぞれ環境が違うから難しかったりもするんだけど、すぐに対応する力が欲しいなっていうのも同時に思うようになって。
――あっくんとやってみた感想は?
ミズタニ:とりあえず「うめぇ!」って思った。最近はサックスで変な音を出してぼくを笑わそうとしてくる(笑)
フクシマ:何をやっても合わせてくれるんだよね。
ミズタニ:慣れてるよね。あっくんは同世代でもダントツで経験値がある。高校時代から色々セッションとかやってたみたいだし。
フクシマ:当時は練習でもライヴでも背中が緊張したというかガタガタ震えた(笑)今では大分余裕が持てるようになったけど。
イシザカ:時々すごい硬直してるなって思うよ。小指とかすごく真っ直ぐになってたりとか(笑)
――ぼくはpenoを離れてから、岸田さん・あっくん込みの体制がある程度馴染んでからライヴを観たんだと思うんだけど、もう30分のうちでドローン25分なんて構成にはしないで、きちんと作曲の方に行くんだなとは感じたよね。
ミズタニ:うん、そういう風にやってみようって思った。
都市の民族音楽??
フクシマ:そう言えば、一時期ミズタニくんが「宅録は都市の民族音楽だ」みたいな話をしてたよね。
ミズタニ:某SNSで書いた日記ね(笑)あれは面白がってくれた人もいたな。
――もう少し詳しく教えて。
ミズタニ:penoとは関係ない、自分の音楽観の話になっちゃうけど。日本で生活して音楽をやってると、まず最初に「音を出す」っていうことに対しての制約があまりにも多すぎるんじゃないかと感じる。お金もかかるし。
イシザカ:それはすごくわかる。制約がすごいよね。
ミズタニ:だからこそ、PCと向かい合ってヘッドホンでモニターしながらつくる音楽とか、家でこそこそと隣人に迷惑がかからないように多重録音をするような行為って、都市における民族音楽なんじゃないかって、大学の音楽学の授業で色んな国の音楽を知る機会があった上で考えるようになって。自分たちが普段生活している場所で鳴らされてる音楽を、例えばアフリカでバリバリやってるパーカッショニストとかが聴いたらどう思うのかっていうことをすごく考える時期があった。それで何も感じないのか、人によっては感動してくれるのかな、とか。何も思わないのなら悔しいし、何故だろうって思うし。
――うんうん。
ミズタニ:アフリカンパーカッションのライヴに友達と一緒に観に行ったりもしたことが何度かあって。最初はリーダーみたいな人がソロで演奏してたんだけど、それを一通り演奏し終わった途端に舞台袖からぐわーって40人ぐらい出てきて、いきなり超絶セッションをし始めるっていう構成で。その時にまた感動して泣いちゃったんだけど、隣を見たら友達もボロボロに泣いてて(笑)
――これまたいい話だ(笑)
ミズタニ:その人たちはさ、生活の中に音楽があるんだよ。それは色々な捉え方があるけど、例を挙げると彼らは太鼓のフレーズで「会話」ができると。それをライヴ中に伝言ゲームみたいに通訳付きでやってたんだよね、「医者を呼んでくれ」とか「愛してる」とか(笑)それを観て「自分たちの生活の中に音楽はあるかな?」ってものすごく考えこんじゃって。そうじゃなかったら悲しいし、音楽をそれぐらいのポジションに持って行きたいっていうのはいつも思う。自分も生活の中に自然に音楽があって、かつ特別なものであって欲しいと思うけど、都会で暮らしててそれを感じるのって難しいなって思う。だからアフリカ音楽の演奏者に対してびっくりするし感動するけど、自分たちの音楽もまた外部から見たら驚かれるかなあとか、どう思うのかって聞いてみたいと思うけど、そういう機会はなかなか無いよね。
――なるほど。
ミズタニ:あとさっきも話した大学で「音楽論」って授業を受けてて、先生がガムラン奏者だったんだけど、そこでも結構触発された部分があって。US3っていう、当時では唯一ブルーノートの音楽を公式にサンプリングすることを許されてたヒップホップ・グループがいたんだけど、その元ネタの曲がスキャットの大御所の人で…。名前忘れちゃったな…。その映像が授業中に流れてきた時には自分でもびっくりするような大きな声で思わず叫んでしまった(笑)
――いつもミズタニくんと2人で授業を受けてて、終わったあとに「今日使った音源はなんですか?」って聞きに行くのが恒例だったよね(笑)
ミズタニ:先生が一番好きな音源は、アフリカの郵便局でパーカッションみたいにリズミカルに消印のスタンプを押すっていう音源で。それを複数人でやってて、さらにボーカルが入ってくるっていう。
――あったあった!
ミズタニ:他にも世界中の廃車のクラクションを音階ごとに集めてピアノみたいに演奏できるような楽器を作った人とか。音色、音量は全部違うんだけどちゃんと曲として聴こえるっていう音源があったんだけど、それを聴いた時も感動してまた泣いちゃったよね、授業中に(笑)個人的にはKid Koalaとか思い出してたな…。不器用な音楽というか。音色の違いとか上手く出ない音とかがあって、でもそういう部分に趣を感じたわけですよ。そういう価値観があの授業で広がったし、思えばpenoの結成メンバーは全員あの授業を取ってたよね。
イシザカ:私も昔、大学で音楽療法の授業を取ってて。即興をやる授業だったんだけど、その時にクライアントとセラピストが実践にそれをやってる映像を観るっていう機会があったんだけど、その時に私もミズタニくんと同じようなことが起こったんだと思う(笑)これはちょっと今まで観たことがないというか。
ミズタニ:それはどんな感じだったの?
イシザカ:セラピストのピアノに合わせて太鼓を叩くっていう内容だったんだけど、その時の、音も全然違うけど鳴り始めた瞬間に表情まで変わるというか。それでみんな集まって即興をやるんだけど、何か違ったんだよなぁ。
―― 音遊びの会みたいな感じですか?
イシザカ:そういう感じだけど、授業が一限目で(笑)
ミズタニ:それはヤバい(笑)
イシザカ:みんな眠い目をこすりながらやるから、先生が「一体何をしに来てるの!」って怒っちゃって(笑)でもそういう時に、その人の人間性が試されると思っていて。例えばクラシックの上手いプレーヤーって、フリーキーなフレーズとかできないじゃない。何が良い悪いじゃなくて「この人ってこういう演奏をするんだ」っていうのが見えたのが面白かったな。
今後について
――自分の原稿でも書いたけど、penoでは曲だけじゃなくてそういう編成とか音の出し方なんかを含めた方法論でも色々なことにチャレンジして欲しいと思う。他人事みたいだけど。それこそ昔のオペラとか映画みたいに、上演・上映時に常に生演奏するとかさ。
イシザカ:それは面白そう。penoはそういうことが自由にできそうだよね。
――1回penoとARTLESS NOTEで自主企画をやればいいんじゃない?
ミズタニ:ツーマンライブと見せかけて、その時のメンバーでやれることを全部やるとか…。
――そうそう。
ミズタニ:オープンと同時にぼくとイシザカさんがドローンで迎えるという(笑)
イシザカ:私は6人でやってる曲に入りたいよ!
――じゃあ南池袋ミュージックオルグとかでやっちゃいなよ!
ミズタニ:6人でやるライヴを結構かっちりしたライヴハウスでもやりたいなって思うよ、使えるエレピも手に入ったし。でも、それよりはまず練習したり曲を作りたいな。
――おおっ!もう2枚ぐらい今の路線で出したら、その後は自然と今日話してきたような実験的な要素が増えてくる気がするよ。